Friday, 20 September 2013

郡山市出身のある方からの健康被害報告 Health hazards of Fukushima family right after the accident (Japanese)

(Source)http://takenouchimari.blogspot.jp/2013/08/unscear.html#comment-form 

(UNSCEAR国連科学委員会と国連人権理事会に英訳提出済み)

原発事故当時とその後の体調不良について (日英、国連に提出済みだが返事はない)
私たち一家(夫婦と子ども一人)は、東日本大震災が発生した2011311日、 福島県郡山市に住んでいました。福島第一原発が次々と爆発していた間、それを知らずに公園で給水車の列に並び、食料を求めて街を歩きまわっていました。隣 近所の人、一緒に給水車に並んだ人々、食品を売ってくれた商店の人たち、親戚たち、みんな爆発の事実を知りませんでした。その後、「どうやら、浜通りの原 発に何かあったらしい」という噂が流れ、何が起きたのかはっきりしないうちに、機動隊や東京消防庁などが原発に水をかけて鎮めているところがテレビに映 り、なし崩し的に爆発があったことがわかりました。

事 故当時、一家3人に体調不調が始まりました。喉の腫れ、喉の痛み、強烈な偏頭痛、目の充血、下痢、鼻血、筋肉の引きつり、痙攣をともなった心臓の強烈な痛 み、同時に起きる全身症状です。3月26日あたりと記憶していますが、原子力保安院で健康相談を開始したとのニュースを見て、電話をしました。一家そろっ て起きた症状を相談すると、「喉が痛いのは感染症です。一家そろってであれば、感染症に間違いありません。早く病院に行って、お医者さんから感染症の診断 書をもらってきなさい」の答えでした。ろくに話も聞かずに、感染症、感染症と繰り返し、質問を続けると「放射能の健康への影響は、5年後に始まる子どもの 甲状腺がんだけです。それ以外のことは起きません」との答えでした。

そ して、その直後、長崎医大の山下教授が福島県にやってきました。福島県の放射線アドバイザーとなり、「放射能を正しく怖がりましょう。デマや放射能をむや みに怖がる人たちの言葉に惑わされないように」と、福島市や郡山市など県内各地で講演会を始めました。各戸に無料で配られるタブロイド版の新聞(フジサ ンケイリビング)にも、第一面に大きく、「放射能を正しく怖がろう」と山下教授のインタビュー記事が載りました。

 4月中旬、私は福島県庁の相談係に電話をしました。「心配ありません。年間20mSvでは、健康に影響が出ません。ICRPによれば、100mSvでも、その影響はわずかだと言います。癌の発生率が0.5%上がるだけです。安心してください。ICRPが 国際基準をつくる国際組織なのだから、安心して信頼できますよ」と県庁の人になぐさめられました。この人は、こちらの質問にスラスラ答えたわけではなく、 すぐに言葉に詰まってしまい、「ちょっと待ってて」と、何度も上の人に答え方を聞きに電話から離れます。電話を待つ間、同じ部屋で次々と電話が鳴って、ほ かの職員が対応に出ている様子が聞き取れました。「心配しないで」「大丈夫」「安全です」と職員の人たちが繰り返し繰り返し言っていました。

このころ、郡山市の公民館や町内会の集会所、商工会議所などで、大学の先生や、大きな病院の医師が放射能講座を開いていました。案内チラシを読むと、「放射能はそれほど恐れるものでもない」という内容の講座でした。

結 局、私たち一家は、東京に避難しました。同じ避難所にいた人も、保安院に電話をしてそっくり同じ対応をされたとの話を聞きました。東京で催される福島から 避難した人々の集いでも、いろいろな市や町からの人と話をしましたが、数多くの人がなにがしかの体調不良を持っていました。大人は持病の悪化が格段に多 く、子どもは鼻血と嘔吐、下痢でした。持病の悪化、急な入院、持病の手術、精神的な不安定など本当に多様です。他に橋本病と診断を受けた人もいます。

ところが、同じ避難所にいた人で、宮城、岩手からの人に尋ねましたが、このような症状はありませんでした。

事故当時、私たちが経験したのは、異常な冷え、顔の皮膚のヒリヒリ感、喉・鼻・目のヒリヒリとした痛み、鼻血、目の充血、嘔吐、腹痛、腹痛、極度の食欲不振、歯茎からの出血、心臓の痙攣のような激痛、偏頭痛、大きな紅斑、全身の痛み、腰痛などです。
 
事故後は、倦怠感、血圧の上昇、飛蚊症、爪の変形、頭痛、疲労、鼻血、下痢、手の震え、足や腕に水泡のようなもの、だるさ、倦怠感、極端な物忘れ、血圧が非常に高くなる、左足大腿部の激痛、筋肉の硬直や引きつり、胸の痛み、頭髪の脱毛、切りキズで大量に出血、爪の変形、心臓の痛み、筋肉痛、手足のつりなど、中枢神経症状、病気と呼ぶには小さいけれども、いちどきに同時に体験する症状でした。

こうした症状は、たいてい震災によるストレスと言われます。実際、原発事故以降に起きたことは大変なことばかりで、精神的苦痛のあまりにさまざまな症状が出ていると思っていました。 

し かし、精神的ストレスでは説明がつかないこともあり、自分でいろいろ調べてみました。チェルノブイリ事故直後の健康被害の記録、これは長い間ソ連政府に よって秘密にされていました。この文書には、事故直後たくさんの人々が体に変調をきたして病院に運び込まれていた状況が記録されていました。さらに、事故 後25年後のベラルーシや、ウクライナの報告書。これらに記載されている健康問題を知り、自分たちの身に起きていることが放射能と関わりを持つことがわ かってきました。 

昨 年末、ホールボディカウンターで一家3人の内部被ばく量を測ったところ、危険領域に入る数値が出ました。キログラムあたり、50Brに近い数値でした。私 たちは事故から1か月半後に東京に避難し、郡山と東京を行き来していました。子どもは、郡山に帰るたびに、鼻血を出しました。

その郡山市や、同じ中通りの福島市や二本松市,伊達市など、放射線の年間被ばく量が軽く1mSvを越える地域に、ずっと住み続けている人たちが100万人以上いるのです。

子ども、妊婦さん、赤ちゃんの内部被ばく量が、とても心配です。

ま た、福島市在住の子育て中のお母さんから直接聞いた話があります。ホールボディカウンターは、どれも順番待ちなので、待ちきれず3つの場所に申し込みをし たそうです。その結果、偶然ほぼ同じ時期に、違う場所で続けて測ることになりました。初めに民間の測定所。その翌日は、県の測定所。一週間後が、隣の市の 市民病院です。民間の測定所での結果は一番数値が高く、次が市民病院でした。しかし、この二つの施設の数字にはそれほど開きはありませんでした。ところ が、県の測定所では不検出でした。彼女の友人も、県の測定所では不検出でしたが、市民病院では数値がでました。

高齢者は、持病の悪化、認知症の進行、急な死亡が増えています。子どもたちの間にも、喉の異常や、放射能関連死と思われる死亡が起きています。(中手聖一さんの資料と福島県の甲状腺異常の資料添付)

私 たちは、自分たちの経験から、これ以上放射能に汚染された地域で人々が暮らし続けると、とんでもない事態を招くことになると予測しています。この翻訳をし てくれる竹野内さんも、お子さんを連れて避難しています。原発の爆発事故一か月後くらいから発熱や咳などの症状で3か月母子とも体調を壊したと言います。

福島県内を視察した外国からの医師たちも、同じ見解です。(IPPNWの見解を見てください)

国と県は、20mSv/年 で健康に問題は起きないとしていますが、実際は、県内各地(浜通り、中通り)で、体の不調を感じている人はたくさんいます。しかし、放射能について口にで きない社会的な圧力のために、どこにも訴えていくところがありません。誰もが、人間として健康に生きる権利を持っています。恐怖と不安の中で暮らすことを 強いられている今の状態は、人権侵害そのものではないでしょうか。体調不良を気のせい、ストレスのせいとして正当な治療や療養を受けさせないでいるのも、 人権侵害です。

福島の子どもたち、大人たち、そして赤ちゃんと妊婦さん、一刻でも早く安全な地域に避難するべきと考えます。
(English translation)


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